森に住む(移住しました)
ずっと昔から憧れていた生活は、窓から緑が見える森の中生活。
住宅街ではなく、静かな場所で暮らしたい。
それが昔からの夢でした。
夢を実現させようと、住んでいた千葉の地域でも物件を探しましたが、
なかなかそういった物件はありませんでした。
山梨に別荘を購入した友人の、山を見ながらの暮らしの話はまさに理想で、
少し足を伸ばして我々も八ヶ岳と軽井沢の物件を見て歩きました。
八ヶ岳や軽井沢を見たら、しかも初夏の美しい季節に見て歩き、景色の違い、空気の違い、自然の違い・・・もう気持ちは千葉に戻れなくなっていました。
定年になった夫と、高齢になってもこの森の中で暮らせるかを考えると、やはりムリなことですが、
元気に動けるあと10年前後、自分たちのために暮らそう!
そんな気持ちで軽井沢で見つけた、思い描いていたとおりと思える物件を借りました。
子どもたちは社会人。我々夫婦の両親は4人とも健在で、みんな85歳以上という状況。
親のことを考えると、すぐ近くに住んで、何かあったら駆けつけられる・・・それが理想ですが、
それぞれの両親は、別の世帯で兄弟と暮らし、ありがたいことに元気でいるため、
常に連絡を取り合う携帯番号だけで繋がり、軽井沢へ引っ越したことは内緒にしました。
コロナ禍でずっと会えないままなこともあり、あえて言って不安にさせることを避けました。
後ろめたい気持ちもありますが、
これまた別のお友達から聞いた臨床心理士の先生の話で、子供の心配や親の心配で眠れないようなことは多いけど、常に、子供は子供 自分は自分 親は親と分けて考える。
親の問題を自分のことにしない。自分を中心に考える。それが大事だという話。
都合のいいように思えますが、
なんで親の犠牲にならなければならないのか?という気持ちで親に接していたら、優しく出来ないのは事実です。
自分だけ、思い描いた暮らしをしている・・・。そんな後ろめたさを持ち
だから出来ることは出来る限りしてあげよう、優しくしよう。そう思える気がします。
もっと優しくて、出来ている人間だったら、こんな考えはヘンなのでしょうが、
パートのお給料からの支援もコロナの助成金も親におくる・・・
この暮らしがなければ、恨みの気持ちに変わっていたかもしれません。
ここでも仕事を少しずつし、金銭面での援助を「なんで!?」と思わずにできればそれがいい・・・
都合よく聞こえるかもしれませんが、そうして自分の中でバランスをとる・・・
そんな思いもありました。